診察室で、患者さんからこう言われることがある。
「先生が一番いいと思う方法でお願いします」
医師として働いていれば、決して珍しい言葉ではない。
信頼してもらえているのだと感じる一方で、
この言葉を聞くたびに、私は一瞬、戸惑いを覚える。
「一番いい方法」とは、何だろうか。
それは医学的に最も安全な方法なのか。
合併症の確率が最も低い方法なのか。
それとも、その人の生活にとって最も現実的な方法なのか。
多くの場合、それらは一致しない。
それでも私たちは、診察室で判断を迫られる。
迷いを表に出しすぎるわけにはいかない。
「分からない」と言って立ち止まることもできない。
限られた情報と時間の中で、何かを選び、前に進むしかない。
外科医として、私はそうした判断を、何十年も繰り返してきた。
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外科医になりたての頃、判断はもっと単純だった。
上級医の指示に従い、ガイドラインに沿い、前例のあるやり方を選ぶ。
そこには迷いもあったが、
「自分が判断を引き受けている」という感覚は、今ほど強くはなかった。
病院という組織の中で、判断は分散されていた。
誰かが決め、誰かが確認し、
最終的な責任は曖昧なまま、共有されていた。
それは悪いことではなかった。
むしろ、若い医師が一人で潰れないための、
大切な仕組みだったと思う。
だが年月が経ち、立場が変わるにつれて、
判断の重さは確実に増していった。
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あるとき、私は開業し、医療を「つくる側」に回った。
その瞬間から、判断の性質が変わった。
誰かの決定に従うのではなく、
「なぜそうするのか」を、自分の言葉で説明する必要に迫られた。
患者さんに対してだけではない。
スタッフに対しても、制度に対しても、
そして自分自身に対しても、だ。
医療的に正しい判断をしているはずなのに、どこか引っかかる。
安全を優先したはずなのに、誰かに無理が集中している。
善意で選んだはずなのに、現場が疲弊していく。
そうした場面に何度も出会ううち、
私の中に、はっきりとした違和感が残るようになった。
問題は、判断の内容ではなく、
判断を誰が、どこまで引き受けているのか、
そこにあるのではないか。
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判断とは、
単に「どれを選ぶか」を決めることではない。
ある選択をするということは、
同時に、別の可能性を選ばないということでもある。
医療の現場では、その「選ばなかった可能性」を
誰が引き受けているのかが、しばしば曖昧になる。
私が違和感を覚え続けてきたのは、
判断の正しさそのものよりも、
判断が、どこに置き去りにされているのか、
という点だった。
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医療の現場では、「安全」「標準」「説明責任」「患者中心」といった言葉が、
当たり前のように使われている。
それらはどれも正しい。
だが同時に、あまりにも強力な言葉でもある。
「安全のため」と言えば、立ち止まらなくて済む。
「標準」と言えば、思考が止まる。
「説明した」と言えば、判断は終わったことになる。
その結果、私たちはいつの間にか、
考えなくていい判断を、増やしてきたのではないだろうか。
考えなくていいことが増えれば、現場は楽になる。
だが、考えなくてはいけない判断は、どこへ行ったのか。
誰にも引き受けられないまま、
宙に浮いた判断が、現場に重なってはいないだろうか。
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このブログは、答えを出すためのものではない。
なぜその選択が「当たり前」になったのか。
誰の安心のために、その判断をしたのか。
その判断に、誰が責任を負っているのか。
医療の現場で起きている判断を、
もう一度、言葉にしていくことだ。
外科医として、経営者として、
判断を避けられない立場に立った一人の人間として、
立ち止まりながら考えてきたことを、そのまま書いている。
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このブログを読んで、
判断は簡単ではないと感じるかもしれない。
「簡単に決められない」という感覚は、
以前より強くなる可能性もある。
それでも私は、
その不自由さから目を背けない医療を、続けたいと思っている。
判断を誰かに押し付けるのでもなく、
一人で抱え込むのでもなく、
どこまでを自分が引き受けるのかを、考え続ける。
それが、医療を続けていくための、
最低限の責任ではないかと感じているからだ。
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私たちは、
いつから「考えなくていい判断」を、
安全と呼ぶようになったのだろうか。
この問いから、話を始めたい。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















