医療の現場にいると、
「なぜこんなに遠回りなのだろう」
と感じる瞬間がある。
同じ説明を何度も繰り返す。
必要以上に書類が多い。
判断までに時間がかかる。
非効率だと分かっていながら、
それを簡単には変えられない空気がある。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
医療が非効率になりやすい理由を、
やる気や能力の問題にしてしまうのは、
あまりにも短絡的だ。
多くの医療者は、限られた時間の中で
最善を尽くそうとしている。
問題は、非効率が生まれやすい構造そのものにある。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
まず、医療は「失敗を極端に嫌う」仕事だ。
一度の失敗が、人の命や人生に大きな影響を与える。
その前提がある以上、医療は安全側に倒れる。
確認を重ねる。
冗長な手順を残す。
判断を先送りする。
その積み重ねが、結果として非効率に見える形を取る。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
次に、責任の所在が分散しやすいことも大きい。
誰が最終的に決めたのか。
どこまでが自分の責任なのか。
それが曖昧なまま、仕組みだけが積み上がると、
判断は遅くなる。
誰も間違えたくない。
誰も一人で引き受けたくない。
その心理が、非効率を「合理的な選択」にしてしまう。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
制度もまた、非効率を生みやすい。
制度は「平均的な医療」を安定して提供するために作られている。
だが平均を扱う以上、
個々の最適解からはどうしてもズレが生じる。
そのズレを現場で吸収しようとすると、
追加の説明や手続きが必要になる。
制度が悪いわけではない。
制度の役割と、現場の役割が混線しているだけだ。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
ここで一度、
非効率の「コスト」に目を向けてみたい。
非効率は、消えてなくなるわけではない。
必ず、誰かがその代償を払っている。
待ち時間として、患者が払っていることもある。
時間外労働や疲弊として、医療者が払っていることもある。
改善の余力を失う形で、組織が払っていることもある。
非効率は、「安全のため」として正当化されやすい。
だがそのとき、
誰を守るための非効率なのか、
誰に負担を押し付けているのかは、
十分に言語化されないまま残る。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
非効率は、現場を守る側面も持っている。
無駄に見える確認が、事故を防ぐ。
時間がかかる議論が、暴走を止める。
だから医療では、非効率を単純に削ればいいとは言えない。
問題は、
何のための非効率なのかが見えなくなったときだ。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
開業し、医療を「運営する側」から見るようになって、
私はこの点をより強く意識するようになった。
非効率には、意味のあるものと、惰性で残っているものがある。
前者は守るべきだ。
後者は見直す余地がある。
だが現場では、その区別がなかなかつかない。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
理由の一つは、
非効率が言語化されていないからだ。
なぜこの手順が必要なのか。
どのリスクを避けているのか。
何を守るための時間なのか。
それが説明されないままでは、非効率はただの「我慢」になる。
我慢は、改善につながらない。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
もう一つの理由は、
改善そのものがリスクとして扱われやすいことだ。
変えれば、別の問題が起きるかもしれない。
責任を問われるかもしれない。
そう考えると、
今の非効率を受け入れる方が安全に見える。
だがそれは、
短期的な安全であって、長期的な健全さとは限らない。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
医療の非効率は、単なる無駄ではない。
恐怖
責任
制度
歴史
それらが折り重なった結果として、今の形を取っている。
だからこそ、
「効率化」という言葉だけで切り込むのは危険だ。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
私が目指しているのは、非効率をなくすことではない。
説明できる非効率にすることだ。
この時間は、何を守るためのものか。
この手順は、どのリスクを引き受けているのか。
それが共有されていれば、現場は納得して動ける。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
医療が非効率になりやすいのは、
人の命を扱う以上、ある意味で避けられない。
だが、その非効率は問い直せる。
医療の非効率は、
誰を守り、誰に負担を押し付けているのか。
その問いを手放さない限り、
医療は少しずつでも健全な形に近づいていけると、
私は思っている。
– – – – – – – – – – – – – – – – – –
このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















