「なぜこんなに遠回りなのだろう」
医療の現場で働いていると、
そう感じる瞬間が何度もある。
同じ説明を繰り返す。
確認の手順が長い。
判断までに時間がかかる。
非効率だと分かっていながら、
変えられない空気がある。
開業する前の私は、その非効率を、
「仕方のないもの」として受け入れていた。
同時に、「いつか変えたい」とも思っていた。
だが開業し、医療を運営する側に立ってから、
その見方は変わった。
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最初に変えようとして、失敗した。
日帰り手術を中心にしたクリニックを設計する中で、
私は「無駄に見える手順」をいくつか省こうとした。
確認の工程を減らす。
書類を簡略化する。
説明の一部を省略する。
効率が上がるはずだった。
だが実際には、別の場所でほころびが出た。
患者さんの不安が増えた。
スタッフが迷う場面が増えた。
想定外の問い合わせが増えた。
そのとき初めて気づいた。
省いた手順は、無駄ではなかった。
誰かの何かを、静かに守っていたのだ。
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医療が非効率になりやすいのは、
やる気や能力の問題ではない。
医療は「失敗を極端に嫌う」仕事だからだ。
一度の判断ミスが、取り返しのつかない結果を招く。
その前提がある以上、医療は安全側に倒れる。
確認を重ねる。
冗長な手順を残す。
判断を先送りする。
その積み重ねが、
外から見ると非効率に映る。
だがその非効率の多くは、
ある種の恐怖と、責任と、歴史の結果として、
今の形を取っている。
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非効率には、二種類ある。
意味のある非効率と、
惰性で残っている非効率だ。
前者は守るべきだ。
後者は見直す余地がある。
だが現場では、その区別がなかなかつかない。
理由は一つだ。
非効率が言語化されていないからだ。
なぜこの手順が必要なのか。
どのリスクを避けているのか。
何を守るための時間なのか。
それが説明されないままでは、
非効率はただの「我慢」になる。
我慢は、改善につながらない。
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非効率のコストに、目を向けてみる。
非効率は、消えてなくなるわけではない。
必ず、誰かがその代償を払っている。
待ち時間として、患者さんが払っていることがある。
時間外労働や疲弊として、医療者が払っていることがある。
改善の余力を失う形で、組織が払っていることもある。
「安全のため」として正当化されやすい非効率は、
誰を守るためのものか、
誰に負担を押し付けているのかが、
十分に語られないまま残る。
その問いを立てずに「非効率だから変える」と言うと、
守られていた誰かが、守られなくなる。
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医療の仕組みが「人を信用しない」ように見えるのも、
同じ構造から来ている。
手順は細かく決められ、記録は求められ、例外は嫌われる。
だがそれは、人が信用できないからではない。
人は必ず揺らぐ存在だという前提を、
仕組みが引き受けているからだ。
疲れる。迷う。勘違いする。判断を急ぐ。
どれも、優秀な医療者であっても避けられない。
だからこそ、チェックが入り、
手順が決まり、記録が残される。
問題は、その仕組みが「思考」まで代替してしまうときに起きる。
「ルールだから」という言葉が判断の理由になった瞬間、
現場の思考は止まる。
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私が目指しているのは、非効率をなくすことではない。
説明できる非効率にすることだ。
この時間は、何を守るためのものか。
この手順は、どのリスクを引き受けているのか。
この確認は、誰の不安を和らげるためにあるのか。
それが言語化され、共有されていれば、
現場は納得して動ける。
納得のある非効率は、改善の出発点になる。
説明できない非効率だけが、ただの消耗になる。
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開業して実感したのは、
効率化とは「削ること」ではないということだった。
何を守るために、何を残すのか。
何を手放せば、誰かに負担が移るのか。
その問いを持ちながら、
一つひとつを丁寧に見直していく作業だ。
「非効率に見えるものが、誰かを守っている」
そのことを知った上で変えるのと、
知らないまま削るのとでは、
現場に残るものが、まったく違う。
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医療の非効率は、
誰を守り、誰に負担を押し付けているのか。
その問いを手放さない限り、
改善は現場を壊さずに済む。
そして、その問いを持ち続けることが、
経営者として、外科医として、
私が今も大切にしていることの一つだ。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















