ここまで、
医療の現場から見えた違和感、
判断の重さ、
続けることの難しさについて書いてきた。
だが、
このブログを通じて、
明確な答えが手元に残るわけではない。
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医療に関わる中で、
私は次第に
「答えを出すこと」よりも、
「問いを持ち続けること」の方が
大切なのではないかと感じるようになった。
なぜなら、
医療の多くの問題は、
一度答えを出した瞬間に、
その形を変えてしまうからだ。
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安全とは何か。
良い医療とは何か。
誰のための医療なのか。
これらの問いは、
社会が変われば、
患者が変われば、
現場が変われば、
すぐに意味を変える。
昨日の正解が、
今日の違和感になる。
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それでも、問い続ける理由は何か。
それは、
問いを手放した瞬間に、
医療が「考えなくていいもの」になってしまうからだ。
考えなくていい医療は、
一見すると楽に見える。
決まった手順。
決まった判断。
決まった説明。
だがそれは、
誰かが考えることを、
肩代わりしている結果でもある。
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問いを問いとして残すことは、
不安を残すことでもある。
分からないまま進む。
迷いを抱えたまま判断する。
正しさを確信できないまま、引き受ける。
それは、
決して心地よい状態ではない。
それでも、
医療はその不確かさの中でしか、成立しない。
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外科医として、
経営者として、
私は何度も
「答えが出ない判断」に向き合ってきた。
どちらを選んでも、何かを失う。
どちらを選ばなくても、別の問題が生まれる。
その中でできるのは、
「今はこれを選ぶ」と決めることだけだった。
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問い続けるということは、
決断を先送りすることではない。
むしろ、
決断を一度で終わらせないという姿勢だ。
決めた後も、
振り返る。
疑う。
修正する。
その循環を、止めないこと。
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これまでに書いてきた
日帰り手術、
判断、
経営、
持続性。
それらはすべて、
「問い続けなければ、持続できないもの」だった。
問いを止めた瞬間、
それらは形式だけを残し、
中身を失う。
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医療は、完成しない仕事である。
だから、
問い続けるしかない。
それは、
理想を諦めないためでもあり、
現実から逃げないためでもある。
問いを持ち続けることは、
医療を「人の仕事」として残すための行為だ。
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私は、
すべての人に同じ問い方を
求めたいわけではない。
ただ、
問いを持つ余地が、
医療の中に残り続けてほしいと願っている。
現場で立ち止まるために。
判断を引き受けるために。
続けることを、選び直すために。
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それでも、問い続ける理由。
それは、
問いを手放した医療が、
最も静かに、
そして最も確実に、
壊れていくことを
私は知っているからだ。
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問い続ける限り、
医療はまだ動いている。
迷い続ける限り、
判断は生きている。
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この先、
あなたがどんな立場で医療に関わるとしても、
どうか問いを置き去りにしないでほしい。
答えは、
その都度、変わっていい。
問い続けることを、
どうか止めないでほしい。
(終)
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















