「医療は誰のものか」と問われると、
多くの人はこう答えるだろう。
患者さんのものだ。
それは、間違っていない。
だが、現場に立ち続けていると、
その答えだけでは捉えきれない感覚が残る。
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医療は、患者さんのために存在する。
同時に、医師や看護師といった
医療者の手によって成り立っている。
さらに言えば、
医療制度、病院という組織、
そして社会全体の支えがなければ、
医療は一日も機能しない。
それらをすべて含めて考えたとき、
「誰のものか」という問いは、思った以上に複雑だ。
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医師として働いていると、
「患者第一」という言葉を何度も耳にする。
大切な考え方だ。
だが、その言葉だけで
現場のすべてを説明することはできない。
患者さんの希望が、医療的に難しいこともある。
安全性と相反することもある。
医療者の限界を超えることもある。
そのたびに、
「誰のための医療なのか」
という問いが、ふと浮かび上がる。
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一方で、
医療者の都合だけで
医療が決められてきた時代もあった。
情報は制限され、選択肢は示されず、
「任せてください」という言葉が当たり前のように使われていた。
その反省の上に、説明責任や患者参加という考え方が生まれた。
だが今度は、
すべてを患者さんに委ねるような極端な形になってはいないだろうか。
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医療は、
患者さん「だけ」のものでもなく、
医療者「だけ」のものでもない。
医療は、
「お互いの関係性の中にある」
と、私は感じている。
診察室で交わされる言葉。
説明にかけた時間。
迷いながら出した判断。
術後の経過を一緒に見守る時間。
それらの積み重ねの中に、医療は存在している。
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日帰り手術を通じて、
私はこの「関係性」をより強く意識するようになった。
入院という枠組みの中では、
医療はどこか病院の管理下に置かれていた。
日帰りという形では、
患者さんの生活と医療が直接つながる。
医療が、病院の中だけのものではなく、
その人の日常の一部となる。
だからこそ、
一方的な正しさでは成り立たない。
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医療が誰のものかを決めるのは、制度でも、社会でもない。
その場で向き合っている
人と人の間で、形作られていくものだと思う。
医師が考え、患者さんが考え、
ときには意見が食い違い、
それでも話し合いながら折り合いを探す。
そのプロセスそのものが、医療なのではないか。
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医療は、完璧な答えを出すことはできない。
不確実性を抱えたまま、
より納得できる選択を探し続ける営みだ。
だからこそ、
「誰のものか」を決めるのではなく、
その都度、問い続けることが大切だと思う。
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医療は、誰のものか。
その答えは、
一つではないし、
固定されるものでもない。
ただ、
考えることをやめた瞬間に、
医療は誰かの「もの」になってしまう。
私は、そう感じている。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















