医療の現場で、
最終的に求められるのは「判断」だ。
この治療でいくのか。
今、動くべきか。
もう少し様子を見るのか。
どれだけ情報があっても、
どれだけ議論を重ねても、
最後には誰かが決めなければならない。
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病院勤務時代、
私はその「誰か」が
どこにいるのかを
深く考えたことはなかった。
医師が決める。
上級医が決める。
責任者が決める。
そうした前提の中で、
判断は役割として割り当てられていた。
だが開業し、
経営者として現場に立つようになってから、
判断の意味合いは大きく変わった。
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判断とは、
単に選択肢を選ぶことではない。
選ばなかった可能性も含めて、
引き受けることなのだと、
強く意識するようになった。
この治療を選んだということは、
別の治療を選ばなかったということでもある。
その結果がどうであれ、
「なぜそう判断したのか」を説明できなければならない。
それには、
医学的な正しさだけでは足りない。
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現場で判断を引き受けるという仕事は、
ときに孤独だ。
患者さんの前では、
不安を見せすぎるわけにはいかない。
スタッフの前では、
迷い続ける姿を見せにくい。
だが実際には、
判断の直前まで迷いが消えることはほとんどない。
むしろ、
迷いがまったくない判断ほど、
危ういものはないと感じている。
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経営者としての立場が加わると、
判断の範囲はさらに広がる。
目の前の患者さんだけでなく、
スタッフの働き方。
現場の持続性。
数か月後、数年後の医療のかたち。
それらを同時に考えながら、
一つの判断を下す。
どれか一つだけを
最優先することはできない。
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判断を引き受けるという仕事には、
正解がない。
後になって
「別の選択もあったかもしれない」
と思うことは、必ず起きる。
だが重要なのは、
結果ではなく、
判断の過程が共有されているかどうかだと思っている。
なぜその選択をしたのか。
どこまでを想定し、
どこからをリスクとして引き受けたのか。
それが言葉になっていれば、
たとえ結果が思い通りでなくても、
現場は耐えられる。
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私は、判断を一人で抱え込まないよう
意識している。
すべてを委ねるわけではない。
最終的な決断は自分が引き受ける。
だが、
判断に至るまでの思考は、
できる限り共有する。
どこで迷っているのか。
何が懸念なのか。
何を大切にしたいのか。
それを開示することで、
判断は
「個人の決断」から
「現場の選択」に近づいていく。
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判断を引き受けるという仕事は、
強さを誇示することではない。
むしろ、
不確実性を認めた上で、
それでも逃げない姿勢に近い。
「分からないことがある」
「迷っている部分がある」
その状態を隠さず、最終的に責任を持つ。
それが、
今の私が考える
判断を引き受けるということだ。
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医療のかたちを現場で描き始めてから、
私は
「決める人間であること」
よりも、
「引き受け続ける人間であること」
を重く感じるようになった。
判断は一度で終わらない。
結果を見て、また次の判断へつながっていく。
その連続の中で、医療はかたちを変えていく。
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判断を引き受けるという仕事は、派手ではない。
評価されにくい。
疲れる。
それでも、
誰かが引き受けなければ、
現場は前に進まない。
経営者として、
そして一人の外科医として、
私はこれからも、
この仕事から逃げずにいたいと思っている。
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このブログ「外科医と経営者の視点」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















