医療の現場で働いていると、
ときどき
「ここまで疑われる必要があるのだろうか」
と感じることがある。
手順は細かく決められ、記録は求められ、例外は嫌われる。
良かれと思って行ったことでも、
「ルール違反」として扱われることがある。
医療の仕組みは、なぜここまで人を信用しないのだろうか。
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この問いに答えるには、まず前提を確認する必要がある。
医療は、失敗が許されにくい仕事だということだ。
一度の判断ミスが、取り返しのつかない結果を招く。
その重さは、他の多くの分野とは比べものにならない。
だから医療は、
個人の善意や能力にすべてを委ねる設計を、意図的に避けてきた。
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医療の仕組みが「人を信用しない」ように見えるのは、
実際には、人が必ず揺らぐ存在であることを前提にしているからだ。
疲れる。
迷う。
勘違いする。
判断を急ぐ。
どれも、優秀な医療者であっても避けられない。
だからこそ、チェックが入り、手順が決まり、記録が残される。
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この設計自体は、決して悪意から生まれたものではない。
むしろ、
人を守るための仕組みだ。
医療者を、過剰な責任から守る。
患者さんを、偶発的なミスから守る。
問題は、その仕組みが「思考」まで代替してしまうときに起きる。
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「ルールだから」
「決まりだから」
「制度上そうなっているから」
これらの言葉が判断の理由として使われ始めると、
現場の思考は止まる。
仕組みは人を助けるためにあるのに、
いつの間にか、人の代わりに決める存在になってしまう。
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開業し、経営者として医療を見るようになってから、
私はこの構造を、よりはっきり意識するようになった。
制度やルールは、現場を統制するためにあるのではない。
現場が判断する余地を、
安全に残すために存在している。
だが現実には、その余地が極端に狭くなっている場面が多い。
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仕組みが人を信用しない設計になっているとき、
現場では二つの反応が生まれる。
一つは、
「ルール通りにやればいい」という思考停止。
もう一つは、
「ルールをかいくぐる」という裏技化。
どちらも、健全とは言い難い。
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現場で本当に必要なのは、
仕組みと人が、それぞれの役割を取り戻すことだと思っている。
仕組みは、判断を支えるために使う。
人は、仕組みの前提を理解した上で、判断を引き受ける。
この関係が崩れると、
仕組みはただの監視装置になり、
人は責任を避ける存在になる。
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医療の仕組みが人を信用しないように見えるのは、
人が信用できないからではない。
人が信用されないまま、
仕組みだけが肥大化してきた結果なのだと思う。
その結果、
現場では「守られているのか、縛っているのか分からない」
ルールが増えていく。
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小さな成功と失敗が積み重ならない理由も、ここにある。
失敗が個人の責任としてのみ扱われる限り、
現場は試すことをやめる。
仕組みが失敗を許容しない設計であるかぎり、
改善は起きない。
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だから私は、仕組みを壊そうとは思っていない。
仕組みの「使い方」を変えればいいと感じている。
人が考え、
人が判断し、
人が引き受ける。
その前提を支えるために、仕組みが存在する。
その枠組みを、
現場でどう取り戻すかが重要だと考えている。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















