理事長になった日のことを、今でも思い出す。
書類に署名し、
法人の代表として登録が完了した。
特別な式典があったわけではない。
誰かが祝ってくれたわけでもない。
手術が終わり、
スクラブのまま診察室に戻り、
書類に判を押した。
その瞬間に、何かが変わったという感覚はなかった。
だが後から振り返ると、
あの日から、「続ける」ことの重さが、
まったく違う形で自分にのしかかってくるようになった。
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外科医として判断を引き受けることと、
経営者として「続ける」を引き受けることは、
まったく性質が違う。
外科医の判断は、目の前の患者さんに向かう。
時間は短く、結果は比較的はっきりしている。
手術がうまくいったかどうか。
合併症が起きたかどうか。
患者さんの回復は順調かどうか。
判断と結果の距離が近い分、
責任の輪郭もはっきりしている。
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「続ける」という判断は、まったく違う。
結果が見えるまでに時間がかかる。
ときには、結果が出ないまま、判断だけが積み重なる。
人を雇う。
設備を整える。
体制を組む。
それらの判断が、半年後、一年後、数年後に、
どんな形で現れるのかが、判断した時点では分からない。
そして最も厄介なのは、
「続ける」という判断の誤りが、
誰の目にもはっきりとは見えないことだ。
現場に余裕がなくなる。
スタッフの動きが重くなる。
患者さんの反応が、少し変わる。
それは、ある日突然、問題として現れる。
しかもそのとき、
それがどの判断の結果なのかは、
誰にも分からない。
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理事長になった当初、私が最も苦手としていたのは、
「続けるかどうか」の判断だった。
外科医として、
この患者さんに手術が必要かどうかは、判断できる。
その判断の根拠は、医学として説明できる。
だが経営者として、
この体制を続けるべきかどうかは、
根拠が見えにくい。
数字は参考になる。
だが数字だけでは、決められない。
人の感情、現場の空気、制度の変化。
不確実な要素が多く、
「正しいかどうか」を事前に確信することが難しい。
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ある時期、私は「続ける」という判断を、
先送りし続けていた。
体制の見直しが必要だと感じていた。
だが、決断できなかった。
変えれば、誰かに負担がかかる。
変えなければ、現状が続く。
どちらの判断も、正しいとは言い切れなかった。
外科医として手術室に立っていれば、
その判断から逃げることができた。
目の前の患者さんに集中する。
手術に向き合う。
それだけで、一日が終わる。
だが翌朝、また同じ問いが待っていた。
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「続ける」を引き受けるとはどういうことか。
それは、
結果が見えないまま決めることだ。
正しいかどうか分からないまま、進むことだ。
誰にも評価されないかもしれない判断を、
自分の名前で引き受けることだ。
外科医としての判断には、
手術の記録が残る。
結果が残る。
責任の所在が残る。
「続ける」という判断には、
何も残らないことがある。
うまくいけば、誰も気づかない。
うまくいかなければ、別の言葉に分解されて消えていく。
それでも、誰かが引き受けなければならない。
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理事長として「続ける」を引き受けると決めた日、
私の中で何かが変わった。
変わったのは、覚悟の言葉ではない。
逃げ道の数が、減った。
「誰かが決めてくれる」という選択肢がなくなった。
「制度がそうなっているから」という理由が使えなくなった。
「経営は自分の仕事ではない」と言えなくなった。
逃げ道が減ることは、楽ではない。
だが、
逃げ道が減ったとき、初めて見えてくるものがある。
何を守りたいのか。
何を続けたいのか。
何のために、この医療を続けているのか。
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「続ける」を引き受けるとは、万能になることではない。
すべてを決めることでもない。
むしろ、
決めきれなさを引き受け続けることに近い。
今日の判断が、本当に正しかったのか。
別の選択はなかったのか。
その問いを、消さずに持ち続ける。
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あの日、スクラブのまま書類に判を押した。
特別な瞬間ではなかった。
だが、あの日から私は、
外科医であることと、経営者であることを、
切り離せなくなった。
どちらかに逃げることは、できない。
どちらかだけを選ぶことも、できない。
手術台を降りれば経営の判断が待ち、
経営の判断が翌朝の手術室に影響する。
その重さを、今も毎日、引き受けている。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















