医療の価値とは何か。
この問いは、簡単に答えが出るようで、
実はとても答えにくい。
安全であること。
治ること。
患者が満足すること。
どれも間違いではない。
だが現場で医療を続けていると、
それだけでは説明しきれないと感じている。
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日帰り手術のクリニックを運営するようになってから、
私は「価値」という言葉を以前より慎重に使うようになった。
日帰り手術は、単に入院を減らす手段ではない。
効率化の象徴でもない。
むしろ、
どこに価値を置くのかをはっきりさせなければ成立しない医療だと感じている。
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入院を前提とした医療では、多くの価値が自然と守られていた。
医療者が近くにいる安心。
何かあれば対応できる体制。
判断を病院に預けられる構造。
日帰り手術は、そうした前提を一つずつ外していく。
だからこそ、
「何を価値として残すのか」という判断が、避けられなくなる。
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その価値は、誰にとっての価値なのか。
患者にとっての価値。
医療者にとっての価値。
組織にとっての価値。
社会にとっての価値。
それらはしばしば一致しない。
むしろ、緊張関係にあることの方が多い。
日帰り手術は、そのズレを曖昧にしたままでは成り立たない医療だ。
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安全はどこで担保するのか。
説明はどこまで必要か。
フォローは誰が引き受けるのか。
患者の生活とどこで折り合いをつけるのか。
これらはすべて、価値判断だ。
しかも、
誰かが代わりに決めてくれるものではない。
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説明責任と、判断責任は同じではない。
選択肢を提示すること。
十分に説明すること。
リスクを共有すること。
それらは医療者の重要な責務だ。
だが、
それを行ったからといって、
判断の重さまで患者に移ったわけではない。
説明責任を果たすことと、
判断責任を委ねることは、似ているが別の行為だ。
日帰り手術では、
「選べるようにした」という事実だけが残りやすい。
だが実際には、
何かあったときにすぐ隣に医療者はいない、
という前提そのものが判断の土台になる。
その前提の重さを、誰が引き受けるのか。
そこから逃げることはできない。
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実際、私は
「これは日帰りでは引き受けない」と決めた症例がある。
医学的に不可能だったわけではない。
工夫すれば、日帰りとして成立させることもできたかもしれない。
だがその場合、
術後の不確実性を患者と家族に引き受けてもらうことになる。
説明をどれだけ重ねても、
最終的な判断は
「何かあったときに、すぐ隣に医療者はいない」
という前提の上に置かれる。
その重さを、この症例では
患者側に渡すべきではないと判断した。
結果として、
日帰り手術という選択肢は提示しなかった。
それは、
できないからではなく、
引き受けないと決めたという判断だった。
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日帰り手術が示したのは、完成形の医療ではない。
むしろ、
判断を先送りできない医療だった。
入院しておけば安心という逃げ道がない分、
設計と判断の質が、そのまま結果に反映される。
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ここで重要なのは、
価値は自然に生まれるものではないという点だ。
価値は、選び取られるものだ。
時間をかけて説明する価値。
患者の生活を優先する価値。
現場が無理をしない価値。
続けられることを重視する価値。
そのすべてを同時に最大化することはできない。
だからこそ、
何を優先し、何を諦めるのかを
決めなければならない。
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この判断は、外科医としての判断とは質が違う。
目の前の患者にとっての最善だけでは完結しない。
次の患者。
現場の負担。
数年後の体制。
それらを含めて一つの判断になる。
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日帰り手術を通じて私が強く実感したのは、
価値をつくる判断とは、
何かを足すことではなく、何を引き受けるかを決めることだ。
引き受けないものを明確にする。
無理をしないと決める。
できないことをできないと言う。
それらは一見、価値を下げる判断に見える。
だが、
続けられない価値は、価値ではない。
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日帰り手術がすべての医療の答えだとは思っていない。
だが、医療にとって重要な問いを突きつけている。
私たちは、何を守りたいのか。
どこまでを医療とするのか。
誰の生活を基点にするのか。
それらを曖昧なままでは、
医療は続かない。
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価値をつくるという判断は、
派手な決断ではない。
むしろ、
毎日の小さな判断の積み重ねだ。
今日もこの形で続けるのか。
ここで立ち止まるのか。
少し修正するのか。
その積み重ねが、あとから振り返ったときに
「価値だった」と呼ばれるだけだ。
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価値は、判断の積み重ねからしか作られない。
そしてその判断は、
外科医の視点と経営者の視点の
両方があって、はじめて成立する。
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このブログ「外科医と経営者としての判断」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















