外科医として働いていると、
「念のため入院しておきましょう」
という言葉を、何度となく使う。
この言葉には、不思議な力がある。
患者さんを安心させ、家族も納得し、
医師自身も「間違っていない選択をした」と思える。
少なくとも、その場では。
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手術にリスクがゼロということはない。
どれだけ準備しても、合併症が起きる可能性は残る。
だからこそ、入院という選択は「安全」に見える。
何かあってもすぐ対応できる。
夜間も看護師がいる。
医師の目も届く。
外科医として、その安心感がどれほど大きいかは、身にしみて分かっている。
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一方で、私は現場において、別の現実も見てきた。
「念のための入院」を積み重ねることで、
病棟は常に満床に近づき、
医師・看護師は余裕を失い、
本当に重症な患者さんの受け入れが難しくなり、
そして、断らなければならないことも増えていく。
夜中に呼ばれる理由が、
必ずしも緊急性の高いものばかりではない。
「眠れない」
「痛みが心配」
そうした訴えに、一つひとつ対応する。
それ自体は医療として当然だが、
その負担が、誰に、どのように積み重なっているのかを、
立ち止まって考える機会は少ない。
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患者さんにとっても、入院は決して楽なものではない。
慣れない環境。
十分に眠れない大部屋での夜。
仕事や家庭の調整。
高齢の方では、入院をきっかけに体調や認知機能が落ちることもある。
それでも私たちは、
「入院していれば安心だから」
という理由で、その負担を当然のものとして受け入れてきた。
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あるとき、私はふと考えた。
この「念のため」という判断は、
本当に患者さんのためだけだろうか。
それとも、
自分自身が責任を背負うことへの不安を、
和らげるための言葉になっていないだろうか。
もちろん、医師が自分を守ること自体は悪いことではない。
無理をしても医療は続かない。
ただ、「念のため」が積み重なった結果、
誰かに無理が集中していないか。
医療全体として、どこかに歪みが生まれていないか。
その疑問は、簡単には消えなかった。
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私が日帰り手術という選択肢を意識するようになったのは、
「入院していれば安全」という前提に疑問を感じ始めたからだ。
入院していても起きる合併症はある。
入院していても、判断が遅れることはある。
一方で、術前の準備、説明、術後のフォローが整っていれば、
短時間の滞在でも問題なく経過する患者さんも存在する。
その差を生んでいるのは、
「入院かどうか」ではなく、
どこまで想定し、どこまで準備できているか、
なのではないか。
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もちろん、すべての患者さんが日帰りでよいわけではない。
入院が最善の選択になる場面も、たくさんある。
大切なのは、
「念のための入院」という一択ではなく、
複数の選択肢を持ち、その中から考えること
だと思っている。
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「念のため」という言葉は、
私たちを守ってきた。
同時に、考えることから遠ざけてもきた。
その両方を理解した上で、
もう一度、立ち止まってみたい。
本当に大切なものは、何なのか。
患者さんにとっての安心とは、どこから生まれるのか。
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このブログ「外科医と経営者の視点」では、
外科医、そして経営者としての経験から感じたこと、迷ったこと、
現場で抱いてきた違和感を、
できるだけそのままの言葉で綴っていきます。















